大学を卒業して入社したばかりの頃、手の届かないような立場の人にご馳走になったことがある。 当時の私は、まだ花が咲くかどうかも分からないただの新入社員だった。部署の飲み会で、昔ながらの雰囲気の飲食店に連れていってもらったのだが、そこはその会社の常連の店で、偉い人たちも普通に来る場所だった。 所属部長から「長岡、常務が呼んでいる。あの人の隣に座れ」と言われ、とりあえずその席に移った。「長岡と申します」と挨拶すると、開口一番「お前、毛沢東を知っているか?」と聞かれた。 当時勤めていたのは東証1部上場の会社で、今でいうプライム市場に相当する。その取締役の中でも指折りの常務と、気づけば差し向かいで飲んでいた。 「名前だけは知っています」 当たり障りのない返し方をしたつもりが、及第点には届かなかったらしい。あの夜以来、毛沢東についてかなり調べた記憶がある。 チャンス、日本語にすれば「機会」は、誰にでも平等に訪れるものだと思っていた。しかしどんな角度から来ても対応できる準備がなければ、その機会を生かせない。そのことをひどく痛感した出来事だった。 知る人ぞ知る、シャア・アズナブルの台詞に「チャンスは最大限に生かす」という言葉がある。赤い彗星と呼ばれた男の言葉にしては、と思うかもしれないが、私にとっては20代半ばからずっと変わらない座右の銘だ。 ただ、準備だけでは足りないこともある。そもそも常務の隣に座れたのは、偶然その店が常連の場所だったからで、部長に声をかけてもらえたのも、縁としか言いようがない。上層部と話せる「運」が存在すること自体、あの夜まで考えたことすらなかった。 その後、たまにその常務と顔を合わせると声をかけてもらえるようになり、他部署の部長や、外部から入っていた一番偉い立場の人に飲みに誘われることも増えた。 当時は知らない魚であったカサゴの天ぷらや鉄さなど、たくさんおいしいものをご馳走になった。 そんな私もいつの間にか年齢を重ね、今度は若い人と飲む機会が増えた。当然、支払う側になっている。 これから日本を担う彼ら、彼女たちに対して、うんちくを語るつもりはない。ただ、機会が来たときに動けるよう日頃から準備しておくことと、自分ではどうにもならない縁や運というものを、頭の片隅に置いておいてほしいとは思っている。どちらか一方では、あの夜の私のように、せっかくの席で「名前だけは知っています」と答えるのが精いっぱいになってしまうから。 機会も、運も、両方大事だ。今もそう思っている。
長岡
